飯塚伊賀七の肖像
飯塚伊賀七の肖像(部分)

飯塚 伊賀七(いいづか いがしち)

1762年(宝暦12年)〜1836年(天保7年)
常陸国筑波郡谷田部新町村の名主

名主としての務めを果たしながらも、優れたエンジニアとしての才能を発揮し、
測量機器、農業機械、和時計を制作した。
他にもからくり人形や人力飛行機を制作し、飛行にも成功したと言われている。

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木製和時計(県指定文財)
五角堂(県史跡指定)
自動脱穀機
十間輪(じゅっけんりん)

算盤(そろばん)

からくり人形(酒買い人形)
人力飛行機
隠れ部屋
開かない箱
自転車の試作

懐中時計
自動扉
飛び出す人形


木製和時計<県指定文化財>

伊賀七が60歳前後のころ木製和時計を数年かけて製作した。
重りを動力として歯車を回転させるもので高さは2m以上もあり、時計全体の大きさは当時の日本にはほかに例がないと言われる。
当時、谷田部の人々はこれを「伊賀七の時計」と呼び、飯塚家から鳴り響いてくる太鼓や鐘の音で時刻を知ったという。
伊賀七の死後、和時計は解体され、長い間五角堂に収納されていたが、昭和30年(1955年)に調査が始まり、昭和32年(1957年)には不足する部品を補って当時の姿が再現され、昭和60年(1985年)には谷田部町が実際に稼働する和時計として復元し、国際科学技術博覧会にも出展した。

伊賀七の木製和時計(復元)
伊賀七の木製和時計(復元)

五角堂(県史跡指定)

五角堂は床面が正五角形で、一辺約4.7m、その中心の高さは約6mの全国的にも珍しい建物である。各辺のなす角度は108度、したがって柱は108度と72度よりなる菱形をしている。屋根はかやぶきで五角錐をなし、中心の柱から傘の骨のように放射状にでている小柱10本により支えられている。
伊賀七がなぜこのような建築を造ったかという理由はわからないが、彼の創意工夫が存分に発揮された飯塚家に残る貴重な建築である。

五角堂
五角堂

自動脱穀機

伊賀七は晩年、からくりの技術を農業生産に結びつけようとし、和時計の機構を脱穀機に応用している。
伊賀七71歳のころ、天候不順でたびたび大雨が降り、夏も寒冷な日が続いたことから各地で大凶作となる(天保の大飢饉)。谷田部藩領内の村々は年貢の軽減を訴え、中には役人に捕まる人も出る中、伊賀七ら名主たちは捕まった農民の解放や人々の生活を守るために奔走した。このような農民の厳しい生活に名主として向き合った伊賀七だからこそ、からくりの技術を応用して人々の暮らしを豊かにするような、新しい農業機械の必要性を感じていたのだろう。

自動脱穀機
自動脱穀機(模型)

十間輪(じゅっけんりん)

伊賀七の業績の一つに、谷田部領内の測量が挙げられ「十間輪」と呼ばれる測量器具を自作し、いくつかの地図を製作した。十間輪は持ち手となる棒に取り付けられた車輪を地面に転がして距離を測る道具。この車輪は1回転で3尺(約90㎝)進むように設計されており、さらに20回転して10間(=60尺:約18m)進むと取り付けられた鐘が鳴る仕組みになっている。

十間輪
十間輪

算盤(そろばん)

江戸時代は「和算」という数学が発達した。
縦34㎝、横39㎝の九段組みで寛永通宝を珠(たま)にした算盤を伊賀七は自作し使用していた。1列に珠を6個配置して(上段1個+下段5個)横方向に12列並べたものを縦に9段 でそろばん面を成すので、寛永通宝の珠は合計648個(6×12×9)と言うことになる。
珠に寛永通宝を使用したのは、面積をとらないようにするためである。

伊賀七の算盤

からくり人形(酒買い人形)

飯塚家の斜め向かいにあった「玉川屋」という酒屋に人形が時々酒を買いに来た。人形は飯塚家の門を出てガッタンガッタン音を立てながら道路を横断し、酒屋の前に来るとぴたりと止まった。酒屋の主人が人形の持ってきた酒瓶に酒を満たし、人形を飯塚家のほうに向けてやると帰って行くが、酒の量をごまかすと人形は決して動かなかった。

人形が持っていた酒瓶
人形が持っていた酒瓶

人力飛行機

伊賀七の作った飛行機は、鳥の翼のように何枚か羽を合わせたもので、自転車のペダルのようなものを足で交互に踏むと、翼が振動するものであた。試作が終わり筑波山(876m)から谷田部まで滑走する計画を立て、藩主細川候に「飛行願」なるものを提出し許可を求めたが、「人心を惑わすもの」「お殿様の頭上を飛ぶとはもってのほか」などという理由でゆるされなかったといわれる。

隠れ部屋

あるとき伊賀七の邸は、隣の明超寺からでた火事で類焼した。そこで応急的な家を彼の設計で建立した。この家は惜しいことに第二次大戦後とりこわされたが、この邸宅の中には外部から見えない中二階があり、仏壇の側の隠し戸から出入りしていたと伝えられている。飛行実験、自動人形、自転車の実験なども禁止されたとも伝えられているから、彼はこの隠れ部屋に閉じこもって創作にふけっていたのだろう。

開かない箱

飯塚家の土蔵の中に、伊賀七の作った小さい箱があった。ところがこの箱はどこが蓋であるのかさっぱり判らない、誰も開けることができなかったという話である。

自転車の試作

伊賀七は木製の自転車を乗り廻した。その構造は彼の試作した飛行機と似たものでクランク式足踏みであったと言われる。

懐中時計

伊賀七は木製だけでなく、鉄製懐中時計も作った。

自動扉

飯塚家の門は訪れた客が門をたたくと扉が自動で開いた。

飛び出す人形

五角堂の戸を開けると人形が飛び出した。


参考文献・資料
●「飯塚伊賀七 ー民間科学者からくり伊賀伝ー」(1979年)
  田村竹男著 (発行元:崙書房)
●「からくり伊賀〜つくばが生んだ奇才のエンジニア〜」(2012年)
  市政25周年記念事業・飯塚伊賀七生誕250周年記念企画パンフレット
  (編集・発行:つくば市教育局)
●「常陽藝文(1984/11月号)」
  (発行元:財団法人常陽藝文センター)
●「飯塚伊賀七」(1963年)
  (出版元:谷田部町文化財保存会)