疫病退散! いがしちの挑戦
寛政元年(1789年)谷田部に熱病が流行した。
ワクチンも特効薬もない当時、困り果てた村人たちは、いがしちを頼るのだが・・・
いがしっつぁん、大変だぁ
うぢの娘がねづ(熱)だしてよぉ、うんうん唸ってんだぁ。
おらんとこは、かかぁがゲホゲホしてで死んちまいそうだぁ。
茂作んとこの婆さんは、ダメがもしんねぇ。
そりゃ大変だ!
みんなで、せんせいのとこさ行くべ!
いがしちと村人たちは、藩医でもあり蘭学の広い知識を持つお医者さま「せんせい」のもとを訪ね、窮状を訴えると
どうやら、江戸の流行病(はやりやまい)が谷田部にも来てしまったようだの。
まぁ慌てるではない。
熱を冷ます薬を出しておくが、人間の体にはの、もともと自分で直ろうとする力があるんじゃ。
その力を出すために、本人は食えんと言っても何か食べさしてあげなさい。
できれば滋養のつくものが良いんだが・・
みんな、うぢから玉子を持ってげ!甘酒もいいぞ!
おー、ありがてぇー。
それからな、この病がこれ以上流行らないようにすることも大事じゃ。
この病には、「ういるす」という目には見えないほど小さい元があってな、これが厄介なことに口や鼻から人へ伝染るんじゃ。
皆のものよろしいか、伝染されない、伝染さないためには、
一、病を得てしまったものは納屋などに移し、食事を持っていくとき以外は接しないようにする。
一、狭いところに皆で集まって騒いではいけない。
一、どうしても集まるときには、口や鼻を手拭いで隠す。
一、手や口を良く洗う。
つまりじゃ、「ういるす」を寄せ付けないようにすれば良い。
なるほど、「ういるす」はおっかねぇんだな〜。
寄せ付けねぇようにしねぇとなぁ。
そうか、「ういるす」と縁を切れば良いんだ!
う〜ん、んで、どうしたらいいんで?
それはな、こうすれば良がっぺ!
本家、飯塚伊賀七の名誉のために書き添えておくと、熱病沈静を祈願して「谷田部八坂神社」に納めた奉納板には、名主たちの一人として当時27歳だった伊賀七の名もあります。
田村竹男著:飯塚伊賀七 ー民間学者からくり伊賀伝ー