五角堂はなぜ五角形?

『五角堂』とは、当時の建築技術では困難だったはずの五角形の木造建築で、飯塚伊賀七が設計した。
現在は茨城県の史跡にも指定されているこの建物、完成後200年以上過ぎた現在でも、なぜ五角形なのかは不明なままである。

飯塚伊賀七 が設計した 五角堂 。
村人

いがしっつぁん、まーた面白えもん作ったなぁー
なんで五角形なんだ?
なんか意味あんだっぺが?

のすけ

オクラみてぇだな。 あ、腹へった、オクラ食いでぇー

たま屋おばちゃん

おりせさん(いがしちの奥さん)に聞いても、なんだか使いづらいし意味がわからねぇって、言ってたよ。

ぼっちゃま

奇数辺形の建物を設計するのは、かなり困難だと聞いております。
私は、柱や梁の組み方が知りとうございます。

せんせい

『陰陽五行説』にちなんで、五つの辺が、木・火・土・金・水を表すように設計したのかもしれんな。
だとすれば、何かの祈願のためかもしれん。

村人たち

やっぱり、いがしっつぁんに聞いてみねぇと分がんねな。

いがしっつぁん、どうなんだへ?

いがしち

それはだな…………、
五角堂・・ごかくどう・・ごうかくどう・・合格どう・・合格DO!

皆が 試験に合格 するようにじゃ!

飯塚伊賀七が設計した五角堂。五角堂 = 合格do(笑)

このお話は「からくりや」の創作です。
当時、どんな試験があったのかは定かではありません。


飯塚伊賀七が建てた五角堂は、江戸後期の著名な数学者・山口坎山が文化末から文政年間に書き残した日記にも書き残されていて、建築当時からかなり有名であったことが窺い知れるが、明治44年の「郷土誌」には、「退廃し昔日の観なく、僅かにその名残を止めるのみ」と記されていて、残念な扱いを受けていたようである。
その後復元され、和時計とともに昭和33年に、茨城県の指定文化財に登録された。